何があった?
積水ハウスは2017年4月から6月にかけて、東京都品川区西五反田の土地取引で、地面師グループによる詐欺被害を受けました。真の所有者ではなく、処分権限もない人物を所有者本人と誤信し、第三者を介して土地を取得できると考えて売買契約を締結しました。
積水ハウスが支払った売買代金は63億819万3309円。会社は2018年1月期に約55億5900万円を貸倒損失として計上しました。2020年、地面師グループ10人全員に第一審の有罪判決が言い渡されたことを踏まえ、積水ハウスは外部専門家による総括検証委員会を設置。12月7日に127ページの総括検証報告書を公表しました。
報告書が詳しく追っているのは、単に「偽の所有者を見抜けなかった」という一点ではありません。契約から決済までの間には、本人性や取引の真実性を疑うきっかけになり得る出来事が繰り返し発生していました。それらが社内でどう受け止められ、なぜ取引停止ではなく決済へ向かう判断につながったのかを検証しています。
背景情報:積水ハウス(Wikipedia)
この報告書で気になった11か所
本人を名乗る人物は住所を書き間違え、真の所有者側を名乗る内容証明が届き、法務部内では「騙されている可能性」も指摘されていました。それでも一連の警告は、次第に「取引を妨害するための動き」と解釈されていきます。
本人確認のための写真照会、建物の鍵、決済日の前倒し、決済前日の不自然な応答、当日の警察への任意同行まで、報告書に残された具体的な場面を時系列で11か所拾います。
最初は自分から『騙されないように注意してください』と言っていた
本件不動産を積水ハウスへ持ち込んだH1と、A1営業次長は以前から面識がありました。2017年3月、H1はA1営業次長に西五反田の物件情報を送り、購入を持ち掛けます。
A1営業次長は、もともとこの土地が売却されるかもしれないとの噂を耳にしていました。しかし、不動産売買の専門家ではないH1が扱える物件ではないと考え、H1に注意を促しました。
取引の入口では、A1営業次長自身がH1に「騙されないように注意してください。」などと述べていました。
報告書の脚注では、地面師グループが積水ハウスへ接近する前、別の買い手候補の中には、なりすましを疑ったり気付いたりして取引を中止した者がいたことも、刑事判決に基づいて記載されています。

なりすまし役は、自分が書く現在住所の番地を間違えた
4月20日、積水ハウス側は所有者本人だと信じていた偽Xと初めて面談しました。パスポート、印鑑証明書、住民票、本件不動産の登記済権利証のカラーコピーなどが示され、司法書士も内容を確認しています。
この場でA1営業次長は、個人情報などを把握するための「確認記録票(個人用)」に必要事項を書くよう偽Xへ求めました。偽Xは、住民票上の本件不動産の住所とは別に、現在暮らしている場所の住所を記載します。
偽Xは、現在の居所を書く際、番地以降を誤って記載し、書き直していました。
ただし、この「確認記録票」は将来マンション購入の依頼を受ける可能性を見越した個人情報把握用の書類で、報告書も、本件土地の売買契約に関する本人確認書類ではないと注記しています。
『売っていない』『印鑑は偽造』――具体的な内容証明が3通届いた
5月10日と11日、積水ハウス本社にX名義の通知書3通が内容証明郵便で届きました。
通知書には、売買契約を締結していない、仮登記に使われた印鑑は偽造されたものだ、長期入院中で4月24日の契約に立ち会える状態ではなかった、パスポートなどの写真も本人ではない、と具体的な主張が記されていました。
報告書が引用する刑事判決では、これらの通知書はX本人ではなくXの弟が出したものと認定されています。また、この情報を受けた法務部担当部長は、社内で「騙されている可能性があるように思います」として、念のため本人確認を再度行うよう指示しました。
昔からの知人に写真を見せる本人確認は、『不興を買うおそれ』から見送られた
契約直後には、知り合いの不動産業者からA1営業次長へ「Xは大丈夫なのか」との連絡もありました。司法書士は、仮登記の受理はあくまで形式的審査の結果にすぎないとして、本人だけが知る情報を聞くなど、より踏み込んだ確認を提案しています。
内容証明が届いた後、顧問弁護士からも、古い郵便物や納税通知書、健康保険証、預金通帳などを積み上げて確認することに加え、昔からの知人や加盟組合などへ写真を見せる本人確認が提案されました。
一方、マンション事業本部と東京マンション事業部は、通知書の送り主が連絡先を書いていないことなどを理由に、これらを取引を妨害するための嫌がらせの書面だと判断しました。
昔からの知人や加盟組合に写真を見せる確認方法は、「X氏の不興を買うおそれ」があるとして実施困難とされました。
A1営業次長は、本人確認で最も重要なのは、Xが建物の鍵を持っているか、建物を内覧できるかどうかだと考えていました。
報告書掲載のメール
2017年4月29日、仮登記の完了を報告したJ1司法書士からA1営業次長へのメール(原文抜粋)
よって提出した書類に不備はなかったと法務局が判断したことになります。ただあくまで形式的審査の結果にすぎませんので、本人性を疑うのならご本人だけが保有する情報・書面を提示できるかより踏み込んだ調査をする必要がございます。
社長には『内容証明郵便』と伝わらず、警告情報も部署ごとに分かれていた
5月12日、マンション事業本部長は社長へ電話し、真の所有者を主張する者から手紙が届いていることなどを報告しました。その際、本人確認をしているのでXの本人性に問題はなく、競業他社である不動産業者の嫌がらせと思われるとも説明しました。
ただし報告書によると、社長には、その「手紙」が内容証明郵便で届いたものであることは伝えられていませんでした。
同じ頃、別のルートからは、仲介に関わるH1について疑わしいとの情報も入っていました。
内容証明は法務部とマンション部門で共有されましたが不動産部には共有されず、不動産部が得た別の懸念情報は法務部へ共有されていませんでした。
委員会は後の原因分析で、法務部や不動産部が相互に情報を共有し、連携して取引を牽制する役割への自覚が乏しかったと指摘しています。
調査委員会の記述
2017年5月12日の打合せで、3通の通知書を嫌がらせと考えた理由についての委員会の記述(途中省略)
通知書の内容の真偽を確認しようにも、連絡先の記載がなく、問い合わせができない。 [中略] もし、通知書の発信者がX氏本人であるなら,もっと正々堂々と主張するのが通常であり、本件通知書1ないし3は真剣な訴えとは思えない。
『本人が鍵を持っているか』を重視したのに、内覧当日に本人は来なかった
5月19日、積水ハウス側は本件建物を内覧しました。事前の予定では、所有者本人だと信じていた偽X自身が建物の鍵を持参し、開錠することになっていました。
しかし偽Xは現地に現れず、代わりにG1弁護士が鍵を持参しました。弁護士は、Xから代わりに現地へ行くよう頼まれたと説明し、その鍵で勝手口の南京錠を開けました。
積水ハウス側は約1時間建物内を見て回り、X宛ての郵便物などが残されていることも確認しました。
本人が鍵を持っているかを重要視していたにもかかわらず、当日本人は来ず、代理の弁護士が持参した鍵で内覧が行われました。
報告書は、偽Xが来られなくなった経緯について、地面師グループによる虚偽の説明だったと刑事判決に基づいて記載しています。
警告が重なる中、決済は延期ではなく7月31日から6月1日へ前倒しされた
5月22日の社内会議では、内容証明を含む一連の動きについて、契約を快く思っていない人物が取引を妨害する目的で行っているのだろう、との見解が示されました。その頃、妨害に対抗するためとして、7月31日に予定されていた決済日を6月1日へ早める案が社内で提案されます。
顧問弁護士への相談では、仮に他に本物件を相続すべき相続人がいるなら、時間をかけるほど仮差押えなどが行われる可能性が高まるため、前倒しの方がよいとの見方が示される一方、「懸念点はX氏の本人確認に充分な時間を取れない可能性がある」との助言もありました。
5月23日には、偽X側からも、通知書が来るなら先に決済して所有権を移した方が騒ぎは収まる、との虚偽の説明がなされました。
積水ハウスは、7月31日予定だった決済を6月1日に変更し、約2か月前倒しすることを決めました。
社長への説明は5月30日の帰国直後、移動中の車内で行われました。社長はその後、法務部長へ直接電話し、決済を早めることに問題がないか確認しています。
決済前日、権利証なし・誕生日を忘れる・干支を間違える。それでも決済へ進んだ
5月31日の最終打合せでは、パスポート、住民票、戸籍謄本など多数の書類が確認されました。パスポートには紫外線を使った確認も行われ、そこで問題は見つかりませんでした。一方、司法書士からは、パスポートの氏名のローマ字表記の一部がほかとわずかに異なるとの指摘もありました。
さらに、偽Xは本登記に必要な登記済権利証を持参しませんでした。そのため、G1弁護士が作成する「本人確認情報」を用いて登記申請を行う方法へ切り替えられました。この変更は、その場にいたA1営業次長とA2事業開発室課長以外には社内で共有されていませんでした。
本人確認情報の作成時には、別の違和感も出ます。
偽Xは自分の生年月日を忘れたとしてパスポートを確認し、干支も間違えましたが、それ以上取り立てて問題視されませんでした。
委員会は原因分析で、権利証を持参しなかったこと自体を「異常な事態」と評価し、こうした複数の事象を深刻に受け止めず決済を進めた対応は慎重さに欠けていたと指摘しています。
決済当日、現地担当者が警察への任意同行を求められた。それでも約49億円を支払った
6月1日の決済当日、関係者が会議室に集まっている最中、土地で待機していた技術担当者から連絡が入りました。建物内に電気がついており、勝手口には釘止めがされているという内容でした。
その後、再び電話があり、通報があったため警察への任意同行を求められていることが伝えられます。A1営業次長がその場のメンバーへ知らせると、この通報も、これまでの通知書と同様に本件取引を妨害しようとする者が行ったものだ、との結論になりました。
警察への任意同行の連絡を受けた後も決済は続行され、積水ハウスは残代金49億819万3309円を8通の預金小切手で支払いました。
委員会は、警察に事情を確認することも考えられたはずなのに、それをせず妨害行為と決めつけて決済を敢行したと指摘しています。
支払い後に近所で写真を見せると、お好み焼き店主と町会長は『本人ではない』と答えた
残代金の決済後、積水ハウス側は警察署へ向かい、真の所有者Xの弟を名乗る2人や弁護士と面談しました。そこでは、Xは入院中で面会謝絶の状態にあり、土地を売却していないとの説明を受けました。
同じ日、技術担当者らは偽Xの写真を使って、本件不動産の近隣住民に本人確認の聞き取りも行いました。
古くからお好み焼き店を営む人物と町会長は、写真の人物がX本人であることを否定しました。
一方、近隣ビルの管理人は、写真の人物が土地へ出入りしたり掃除したりする姿を見たことがあると回答しています。報告書は、この時点では本人だとする情報と否定する情報が混在し、偽Xを偽物だと強く疑った者はいなかったようだとも記しています。
ただし委員会は原因分析で、こうした近隣への聞き込みを決済前に行っていれば、偽Xが所有者本人ではないことを容易に確認できたとして、本人の機嫌を害して取引が進まなくなることを懸念し、慎重な対応をしなかった点を問題視しています。
委員会の分析――『何としても完遂』が至上命題となり、正常化バイアスが働いた
委員会は、事故の原因を本人確認の失敗だけに求めていません。東京マンション事業部は、日頃、紹介による「ルートワーク」や地主への直接営業を中心に土地を仕入れており、得体の知れない不動産ブローカーと接触する機会がほとんどなかったため、相手に騙されるリスクへの意識が希薄だったと分析しています。
その一方で、首都圏の好立地物件は取得競争が激しく、本件の土地は競争のない形で持ち込まれました。
委員会は、好立地の物件を「何としても」取得し本件取引を完遂することが「至上命題」となり、複数の異常を妨害と信じる「正常化バイアス」が働いたと分析しました。
さらに、組織の縦割りも問題とされました。マンション事業本部、法務部、不動産部の間では、互いの領域へ口を出さず、他部署から口を出されることも嫌う傾向があったとされます。法務部や不動産部も、事業部門を牽制する役割への自覚が乏しく、警告情報が一か所へ集約されませんでした。
報告書が指摘した背景
総括検証委員会は、本件を「地面師の手口が巧妙だったから見抜けなかった」というだけでは整理していません。
取引の直接的な過程では、公証役場の認証や司法書士による本人確認、多数の書類、建物の鍵など、本人だと考える方向に働く材料がありました。その一方で、住所の誤記、契約直後の注意喚起、内容証明、仲介者への疑念、本人が内覧に来なかったこと、権利証の不持参、誕生日や干支への不自然な応答、決済当日の警察への任意同行など、慎重な再確認につながり得る事象も繰り返し発生していました。
委員会が問題視したのは、そうした異常が一つずつ「妨害工作」という説明の中へ取り込まれていったことです。好立地物件を逃したくない意識が強くなり、取引を完遂すること自体が至上命題化した結果として、報告書は「正常化バイアス」という言葉を使っています。
また、法務部、不動産部、マンション事業部門の間では、情報共有と牽制が十分に機能しませんでした。内容証明を把握していた部署と、仲介者への懸念情報を把握していた部署が異なり、経営トップにも情報の性質が十分に伝わっていませんでした。委員会は、全社的なリスクを横断的に把握する仕組みや、事業部門をチェックする制度・専門性にも課題があったと分析しています。
報告書の付箋では、結果を知った後から「なぜ止めなかったのか」と単純化するのではなく、その時点で社内にどのような材料があり、それぞれがどう解釈されていたのかを区別して紹介しています。
この記事の訂正
付箋06の内覧日を「5月20日」から「5月19日」に訂正しました。原文p.42–43で確認しました。付箋05には委員会評価の区分と参照ページp.56を補いました。
